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当会の概要

 

当会は、昭和14年に結成されました。

第二次世界大戦前夜の暗い時代に、中野区に住む盲人の福祉の向上を目指して団結した先人たち。今の私たちの暮らしの礎を築いて下さった先人たちの熱い血潮と偉大なる歩みに感謝の言葉を捧げます。

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戦後の焼け跡から立ち上がった先輩たち。

盲人の職業、按摩・マッサージ・指圧(いわゆる3療業)を守る為にGHQ(アメリカを中心とした連合国進駐軍)にも立ち上がった先輩たちです。身体障害者 福祉法(昭和25年制定)により、障害者の自立・更生が国の目的にもなりました。しかし、地域で暮らす視覚障害者にとって、「自立・更生」のスローガンを 具体的なものにしていく事は、困難も多かった時代です。当会は、中野区と協力しながら中途失明者の仲間作りに乗り出しつつ、福祉の向上に向けた様々な活動 を開始しました。

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発達する中野区の障害者福祉

中野区福祉団体連合会(福祉連)の結合にも、大きな役割を果たした当会。現在も、福祉連の一員です。区内の当事者団体や、父母の会の皆さんと肩を並べ励んでおります。
区民講座や触れ合い運動会、徒歩訓練(旅行)等多彩な活動を展開し、中野区に暮らす障害を持つ人たちの拠点となっております。
また、最近では福祉連の主要な活動の一つとして防災関連に関しても力を入れております。現存の中野区障碍者防災委員会と協力し合い、障害を持つ人たちがいざ被災した時にどう対処すべきか?助け合える輪を構築すべくみんなの知恵を出し合い模索しているところです。
これからの中野を誰もがより住みやすい町にすべく、皆さんでタッグを組んで励んで参りましょう。 

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法人化の取得に向けて

昭和56年、会長 安藤功の発案により、全国に先駆けて書き損じ葉書の収集を開始しました。書き損じ葉書収集は、多くの皆様の協力を得る事が出来、全国から善意の気持ち・寄 付が寄せられました。このような活動を通して、「いこいの家」を初めとする、盲人福祉の拠点となる場の確保を進めてきました。三療の資格を取得しても、なかなか生計を維持するだけの収入の得にくい中途失明者の自立・自活の場として、昭和61年には自立センター治療室を開設する事が出来ました。この治療室 は、平成9年に念願だった福祉法人の認可を東京都から得ました。現在も、(社福)ひかり会として、社会福祉事業法に基づく「盲人ホーム、自立センター陽光園治療室」を活発に運営展開中です。当会は、そ の後も箱根・仙石原に温泉付き保養施設(マンションの一室)を確保し、視覚障害者やその家族、中野区民の皆様の保護に寄付しています。
(箱根保養施設は現在閉鎖いたしました) 

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重要性を増している当会の活動

現在、当会の会員は100名程。中野に暮らす視覚障害者を中心としつつ、見える方も区外の方も、賛助会員として登録していらっしゃいます。当会への入会は中途失明者が増加している中、社会福祉の構造改革が叫ばれています。当会の地域福祉活動は、その重要性を一層増しています。平成15年には、中野区から基準該当事業所の指定を受け、盲人ガイドヘルパー派遣事業を開始しました。日々のクラブ活動や徒歩訓練、相談事業等、地道な活動を重ねつつ、当事者が中心となって中野の盲人福祉の向上を目指す活動を今日も展開中です。ひとりで悩まないで!失明しても暮らしやすい中野の街を一緒に作って行きましょう!

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ひとりで悩んでいないで、ご一緒に!一緒に暮らしやすい中野の街を作りましょう!